13階建てのマンションから飛び降りようとした時の話

お久しぶりです。

前回の記事「うつ病の話」から半年くらい?よく覚えてないけど、やっと、ブログを書く気になりました。

 

前回の記事では「次はなぜ俺がここまでうつ病を引きずっているのか〜」とかほざいてましたが、無論そんなことについてブログを書く気はありません。

 

 

なので今日は、ブロン依存に苦しめられたあげく、飛び降り自殺を図った時のことについて話します。

 

 

 

今年の夏頃から私がハマっていたブロン、こんなことを言うとキレられそうですが、ブロンはね、正しく使えばいい薬だと思います。マジで。

 

ただ私の場合、効果が切れたあとの鬱思考がひどく、一度は自分が住んでいるマンションの最上階(13階)まで行きました。飛び降り自殺の下見として。めちゃめちゃ高くてびびったなあ。

 

ノリで首を吊ろうとしたことも数回ありますが、思ってたより苦しくてウケました。死ぬのも簡単じゃないなと、それでも私は素面で生きてることの方が何億倍もつらかった。

 

 

マンションの最上階まで行った時のエネルギーは凄まじいものでした。

エレベーターで行ければ良かったのですが、うちのマンションは完全オートロックなので、自分が住んでいる階にしかエレベーターは止まりません。

私が住んでいるのは低層階、果たして13階まで階段で行けるのか…?(中学時代の体育の成績:2)

 

当時の希死念慮は私の壊滅的な体力の無さを蹴飛ばすほどの勢いで、ただひたすらに階段を上り続けました。

踊り場には蜘蛛の巣がたくさん、うわ〜きたね〜でも今時はみんな階段なんて使わないよなあ、そりゃ蜘蛛の巣もできるか〜と呑気に思ったのをよく覚えています。

 

信じられない話でしょうが、私が住んでいる低層階から最上階まで、一度も足が止まることはありませんでした。

頂上についてやっと自分が息切れしていることに気付いたくらいで、足の痛みも全くなし。希死念慮って素晴らしいね。

 

13階まで辿り着いたところで、恐る恐る下を見ました。

いや高すぎワロタ。

 

当たり前ですが、最上階とは言っても屋上ではなく、13階(正確には12.5階)の踊り場から飛び降りるという形になります。

 

 

飛び降りるには椅子がないと塀?を超えられないので、「またここまで椅子持ってくるのダルいな」とも思いました。今考えると冷静なのか?どちらにしても、死ぬのをやめようとは思いませんでした。

 

 

余談ですが、20代で飛び降り自殺した山田花子という漫画家がいましたね。

彼女は当時住んでいた団地の11階から飛び降り、2階の屋根部分に叩きつけられて死にました。

 

私が最上階から下を覗いたとき、ちょうど真下に見えたのは駐車場に停まっていた、大きめの車でした。

最上階から飛び降りたとして、叩きつけられるのは地面じゃなく真下にある障害物、山田花子と一緒じゃんw  いや笑えん。

 

 

さすがに13階まで登ると、死に対する恐怖や実感はそれなりにありました。しかし、不思議なことにどこまでも他人事で、今まで生きてきたことに対する感動も悲しみも憎しみも何もない。マジガチの虚無です。「13階ってたけ〜」、本当にそれだけ。

 

 

これからの人生で「あの時死ねばよかった」と思うことがあるんだろうなと考えると死にたくなります。

 

 

それから少しして部屋に戻りました。

ここで面白いのは、わざわざ自殺の下見をするために低層階から13階まで階段で来たのに、

また階段で1階のエントランスまで降りて、そしていつも通りエレベーターで自分が住む階に戻ったということです。ギャグか?

 

オートロックって防犯上は安全だけど自殺志願者には優しくないね。今思い出しても我ながら滑稽です。一生ネタとして使えます。

 

 

ちなみに、当時のボロカスな精神状態を記録した有益なツイートが運良く残っていたので、最後に時系列で晒します。

 

f:id:gremrin02:20191224225406j:image

①行動する前日。数日前から薬が効かなくなってしんどかった。

 

 

f:id:gremrin02:20191224225414j:image

②当日、最上階まで行く数分前。

確かこの日は朝早くに起きて、希死念慮だけを原動力に薬を飲みました。

中学時代からお世話になっている心理士はいつもカウンセリング中で、なかなかタイミングが合わないんですよねえ。それが最大の引き金でした。

 

 

f:id:gremrin02:20191224225423j:image

③部屋に戻ってからのツイート。荒れすぎちゃうか?

偶然にも山田花子と同じ方法を選んだ自分が誇らしかったのでしょう。下から2番目のツイートに関しては、当時に限らずいつも思っています。

 

 

…今回は以上です。

前回の記事に続き、人によっては胸糞な内容になってしまいましたが、私のブログを見にくる奴なんて大体………いやありがとうな!!

 

クリスマスイブに自殺未遂した時の記憶を掘り起こすのは我ながらウケました。

久々のブログも楽しかったです。

 

 

ここまで読んでくれてありがとう。みなさん、良いお年を!

 

うつ病の話

 

お久しぶりです。

 

映画ブログと名乗る割に更新も少なく文章力もなく、すいません。

 

今回は、映画とは無関係なうつ病の話をしようと思います。

できれば多くのフォロワーに観て欲しいなー

 

今現在が過去最悪を記録していることもあり、決して気持ちの良い内容ではありませんが、興味ある方は覗いていってください。

 

 

 

 

うつ病になって、かれこれ四年。

長すぎて、その間に色んなことがありすぎて、もはやどこから話せばいいのかわからない。

大きなきっかけとなったのは、中三の時不登校になったこと。そして、不登校専用の支援塾に通うようになったこと。

 

そこで出会った女の子との出会いが自分の運命を大きく変えたこと。

 

詳細はめんどくさいので省きますが、彼女は統合失調を含め様々な精神疾患を経験していて、家庭環境も相当ヤバかったです。もちろん腕にはリスカの跡がくっきり、根性焼きもあったなあ。ずっと触ってみたかった。

統合失調症以外に、自分が知る限りでは性同一性障害強迫性障害、あと過去には潔癖症摂食障害にもなったと言ってました。

彼女は相当な虚言癖だったのであまり信用できませんが、まあ事実なんでしょう。

 

そんな彼女、彼女と言っても、性同一性障害なので見た目は普通に男子でした。それも美形。どうりでワシが心奪われるわけや。

でも性別としては立派な女性なので、この中では彼女と呼びます。

 

自分はそんな彼女に影響されまくって、こうなりました。それに尽きます。

リスカもODもエスエスブロン錠も自殺未遂も、ありとあらゆることを教えてくれました。

当時、中三の頃は自我がなかったので、悪いことも良いことも全部彼女に影響されたわけです。

 

 

彼女とは高校進学を機に縁を切りましたが、二年ほど前に連絡したところ、相変わらず自殺志願者専用のサイトを立ち上げていたりバンドを始めていたり、抗うつ剤の売買取引をしていました。ちゃんちゃん。

 

それ以降は連絡をとっていません。彼女は確かに苦しんでいたけど、交友関係がビビるほど広く、たくさんの人種に囲まれていました。それもそれで楽しそうだったけど、ある日いきなり自殺を図りそうな危うさ、儚さもありました。

今どうしてるかは知らんけどね。

不思議ゆえに、気難しい子でした。彼女の話はここでおしまい。

 

 

次は、なぜワイがここまでうつ病を引きずっているのか。

時間をおいて、また更新します。

正直、彼女↑の話だけでおなかいっぱいでしょ。わかるよ。

世の中にはこうすることでしか生きられない人もいるんだよ。きちがいとか、狂人とか言われても知らんよ。寂しいけどな。

 

ではまた次回。

                  キコー・ゴッホ

 

久々の更新とどーでもいい報告

今日はレビューじゃないよ

 

もう何か月もブログ放置してました。

 

 

 

単純に面倒くさかったのもありますが、一番大きかったのは新しい出会いです。

 

数年ぶりに、他者との出会いがありました。しかも大勢。

もちろん映画関係です。師匠の力ですが…。

 

孤独を好んでずっと独りで映画観て、学校と家を行き来するだけの生活を続けてた私にとって他者との出会い、交流なんてもう事件ですわ。

 

新しく知り合った人たちはみんな学があって、変態でどこか狂ってて、とにかく最高な人ばかりです。そんな中自分の未熟さに気付き、色々な面で死ぬほどショックを受けました。

 

 

 

そして、彼らの映画評論に比べたら俺のブログって……カス?もうブログ放置プレイでいいやーワロスワロスとなりました。が、師匠には文章を書き続けろと言われ、いやいやこんな不燃ゴミみたいな文章…となかなか気がむかず。

言っちゃえば、はてなブログのアプリもアンストしました。

 

 

 

でも、ブログを更新しない=良い映画と巡り合えなかった ではないです。

ブログ放置してる間にもたくさんの素晴らしい映画と出会いました。

 

最近のだと「ZOO」。これは何年も前から見たかった変態映画で、通販で入手しても神々しすぎて再生できなかった(買った意味のNASA)んですが、これまた映画関係で仲良くなった田中圭似のマジキチ男性に相談すると「じゃあみんなで観ようぜ!」と提案。ありえんほどあっさり上映が決定しました。いや神か?

 

年が明けて間もない正月の昼間から日の当たらない喫茶店で開催される映画鑑賞会、いやあ存分に楽しみました。期待以上の病的な傑作に大満足!代わりに、私の変態キャラが定着しましたが。

 

 

 

まあこんな感じで楽しくやってるよーという報告です。以前は自分を孤独な映画信者だと思って生きていましたが、ある人との出会いですべてが変わりました。毎月彼らと映画について語り見解を交わすのが唯一の生きがいです。

 

 

 

うーん、思いっきりしょーもない、テーマも軸もないスッカラカンのブログになってしまいましたが、自分はそれなりに満足してるのでいいです。

 

これからは、なるべく、頑張ってブログを更新しようと思います。あとTwitterも放置しててすいません。浮上控えてたら何ツイートすればいいかわからなくなりました(マジ)。

 

変な終わり方で申し訳ないですが、とりあえず、最後まで読んでくれてありがとうございます。

映画ブログ地道に頑張ります。

 

「緑はよみがえる」タイトルに込められた怒りと皮肉

 

 

「一番難しいのは赦すことですが、人が人を赦せなければ人間とは何なのでしょうか」

 

 

緑はよみがえるf:id:gremrin02:20180609202507j:plain

あらすじ

1917 年冬、イタリア・アルプス山中のアジアーゴ高原。冴え冴えと輝く月に、山が美しく照らされている。イタリア軍兵士の歌うナポリ民謡が、静まりかえった夜に響き渡り、姿をみせないオーストリア軍兵士からも、歌をせがむ声が聞こえてくる。塹壕に身をひそ め、寒さと死の恐怖におびえる兵士たちにとって唯一の楽しみは、家族、恋人から送られてくる手紙だけだ。着任したばかりの若い中尉は、 想像とは違う初めての戦争に戸惑いながら、母への手紙にこう綴る。「愛する母さん、一番難しいのは、人を赦すことですが、人が人を赦せなければ人間とは何なのでしょうか」。やがて一時の平和は破られ、オーストリア軍の激しい砲撃が開始される・・・。

 

 

77分という短い時間ながらも、登場人物たちの悲痛な状況が隅々まで描かれている。

特に半端ないのが脚本。言葉が持つパワーに終始圧巻された。

 

冒頭から始まるハーモニカのメロディー、兵士の口から飛び出す数々の言葉。

白黒映画ではないが、映像に映し出される色は見渡す限り白い雪と色落ちた洞窟。時たま見えるオレンジは、敵軍からの砲撃。そして黄金に輝くカラマツ。

 

それらの色合いが意味するのは、言うまでもなく兵士たちの閉ざされた極限状態だ。

f:id:gremrin02:20180609212907j:plain

f:id:gremrin02:20180609215505j:plain

 

(個人的に タイトルは内容の次に重視しているんですが)

「緑はよみがえる」というタイトルが示すことは何か、最初は戦争を無理に美化した言葉だと思った。自然と人類の再生を意味するとも考えた。

 

しかし物語の終盤、兵士がカメラ目線で私達に話しかけてくるシーンがあるのだが、そこで一人の兵士はこう語る。

 

「やがて戦争は終わり、ここには緑がよみがえる。ここで起きたこと、耐え忍んだことは何も残らない。信じる者すらいなくなる」

 

 

「緑はよみがえる」とは、兵士たちの虚しい怒りだったのだ語り継ぐことのできない記憶を目一杯静かに中傷した。その時兵士は涙を堪えていた。

 

 

f:id:gremrin02:20180609212233j:plain

 

他にも心打たれる数々の台詞、

「歌は銃弾より強いんだ」

 

「幸せでなければ歌えません」

 

「獣でも 血の臭いを嗅ぐと小便をするんだ 処理場へ行く前に 俺らも獣だということかね」

 

「死者の数よりも名前が知りたい」

 

 

続きを読む